人生曲線(1)

今日は、あらためて自分を見つめなおすために性格診断をしました。

まずは人生曲線を作成してみました。横軸に幼少期から現代までを時系列とし、縦軸にモチベーションをプロットしていきます。モチベーションの定義はなく、自分で考えるモチベーションを感覚的にプロットして良いそうです。これにより、自分は何を大切に生きてきて、どういう時にモチベーションが上がるかが分析できるとのこと。

野球中心の学生時代

まずは小学生時代に足が速いことに気が付きます。それ以来、運動会での活躍でクラスの人気者になり、それまではおとなしかった自分が少しづつクラスの中で存在感を出すようになりました。
小学生の高学年から中学生までは、野球で活躍することでモチベーションがアップしていました。自分の中で最も大事なことが勉強や遊びではなく野球だったということでしょう。レギュラーをとって大会で優勝することで右肩上がりのグラフになりました。
自分が得意なことで活躍することがモチベーションの源泉だったようです。

高校生の時に甲子園常連の名門校に入学するものの野球部に入ることをあきらめました。自宅から練習場まで2時間近くあり、勉強との両立に不安を感じたためです。今でもこの時の決断を後悔しています。やはり曲線も大学4年生まで右肩下がりでどん底まで下がりました。

就職活動

大学4年の時に就職活動を通じてモチベーションが上がります。最初は新聞記者を目指して活動し、作文や面接対策を頑張りました。結果は内定をもらうことができず、希望通りの就職をすることができませんでしたが、この時はその挫折をモチベーションに切り替えることができました。次の目標を不動産鑑定士業での起業に切り替えました。就職活動を通して、自分らしく生きるためには独立する方が良いと考えたためです。

キャリアアップを目指して

一旦、独立のための勉強を続けながら、内定をもらっていた金融機関に就職しました。勉強と仕事の両立はかなり厳しかったため徐々に試験勉強ができなくなりました。一方で金融の仕事にも遣り甲斐を感じ、結婚と子宝に恵まれたこともあり、独立から転職によるキャリアアップに目標が変わっていきました。転勤により不動産担保融資を担当することになり不動産の勉強ができるようになりました。モチベーションはどんどん上がっていきます。そして、会社の留学制度でMBAにチャレンジする機会を得ました。

MBA取得後に、会社へは財務部への異動希望を出しました。希望通り財務部に赴任させていただき証券化業務で会社の資金調達に貢献しました。この時が30代前半ですが、モチベーションは1回目のMAXになりました。会社の中枢部署で専門性の高い仕事を任され、自信を持って目標だった大手金融機関にキャリアアップ転職しました。

上司からの信頼を得る

転職後、リーマンショックにより大学3年時以来のどん底に落ちます。転職したててで仕事の要領も掴めず、上司とも合いませんでした。

本社企画部署に異動になるのですが、ここからモチベーションを上げていくのに3~4年かかります。仕事内容になかなか遣り甲斐を見出せずにいたのですが、自ら考えて改善に取り組み丁寧に組織調整する仕事スタイルが少しずつですが上司に認められるようになりました。上司からの信頼を得て重要な仕事を任せてもらい、昇格もして賞与も多くなりモチベーションが上がりだしました

プライベートバンカーとなる

但し、会社の中で、自分を評価してくれているのはその上司と関係部署の人たちだけです。貢献の範囲が社内に留まっていると感じていました。より専門性を高めて社会貢献したい気持ちが強くなっていきました。そこで、思い切って公募制度を利用してプライベートバンカーとなる道を選びました

この時は、自分で選んだ道でもあり、また海外の手法を取り入れたアプローチ手法、アドバイザリー手法は日本のプライベートバンクでは最先端のものであったため、とても遣り甲斐を感じました。何よりも顧客重視の姿勢を徹底して叩き込まれ、それを実践することでお客さまから喜んでいただけることは最高の喜びでした。社長表彰も受け、充実した日々でした。この時、40代前半で、2回目のモチベーションがMAXになったときです。

こうして振り返ると、職業人生の中では2回のモチベーションMAX期がありました。

  1. キャリアップを目指して勉強し、勉強したことを実践して会社に貢献できたと感じたとき
  2. プライベートバンカーとして自己研鑽し、顧客から感謝され社会貢献できたと感じたとき

ここから、また波乱万丈の人生なのですが、少し長くなりましたので、続きは明日にしますね。